「大冒険 セントエルモスの奇跡」を解剖する

−−陸戦で港を開放しつつ、港での貿易拠点を広げ、 大きい船に買い換えて海戦もする…。 ゲームのお題としてはむしろ鉄板と言ってもいいくらいだ。

−−絶望すると醜悪なモンスターになるという題材そのものは 百年色あせない定番といってもいい。

−−現実逃避を止めて現実に帰れ、というメッセージを持つ作品は ありふれており、 今更変だとか指摘するのも野暮なくらいだ。

「大冒険 セントエルモスの奇跡」は、 素材だけ見れば鉄板な要素ばかりで出来ているのに、 作中では物語が不十分にしか語られない。 モンスターたちの主張も、断片的でよく理解できない。 ここでは、夢オチに至る展開と、モンスターたちの存在に焦点をあててみたい。


主人公の正体は

まず、町の人の証言から、主人公の姿とストーリーラインを追ってみよう。

あなた・・・今 不思議な言葉を話さなかった? 話してない? 本当に? ・・・ 気のせいだったのかしら・・・ (セウタ)
ぎゃっ・・き 君・・・・・。 今 何て話したのじゃ・・? ・・空耳なのか・・・? (ダブリン)
君がここのモンスターを 倒したんだな。 私は君に何か特別な力を 感じるのだ。 この世の力では無い そんな力が・・・ (プーシキン)
あなたの 過去を占ってあげようか あら・・・・? 過去が 見えない いったいどういう事なの? (ジャマイカ)
君の目の奥には 君ではない もう一人の何かが見えるよ 自分を 本当に自分と思えるかい? (タンピコ)
君は 次々とモンスターを倒しては 旅を 続けるという 噂の旅人だね その旅人には ときおり 人の残像が 見えたりするらしいが 確かに 君には もう一人の何かが 見えるような気がするよ (リオグランデ)
お前 なんという目をしているんだ!? まるで お前ではない もう一人の 誰かに のぞかれている様な気がしたぞ? なんとも 不思議な人だ・・・? (プエルトデセアド)
私はふと 森の中にいる 自分の夢を見たわ その夢の中で 私は考えていたの・・・ この中にいる 私は 私の夢の中にいる私なのか・・・ それとも この森が見ている 夢の中の私なのか なんてね・・・ (ビトリア)
最近 不思議な夢を 見たの その夢とは どこか別の世界の人が この世界に来て私に言うの・・・ この世界は 私達の想像の世界に すぎないってね そしたら この世界はなくなってしまうの 真っ暗になってね ほんと 恐ろしい夢だったわ (バイアブランカ)

夢オチと言うけれども、ラストシーンでいきなり夢である ことが明かされるのではなく、中盤あたりから徐々に 語られていることが分かる。 主人公リオンが、単なる探索者ではなく、 まったく異なる言語を話す別世界の住人と重なり合った存在であることが語られている。 この“誰か”こそが、プレイヤーである私たち 自身であるわけだ。


モンスターの正体は

さてもう一方の鍵であるモンスターたちについても、 街の人の証言を聞いてみよう。

私は夜中にヒソヒソと変な言葉を話すモンスターを見たよ (ボルドー)
わしは モンスターが出現するのを見たのじゃ まるで 空間のすき間から にじみ出てくるような 感じじゃった そういえば なぜか人の形に見えたような・・・ (スタバンゲル)
この前 人の形に似た 雲の様な白い塊が 突然 光とともに モンスターに変わったのよ いったい あれはなんだったろう (トルヒヨ)
モンスターの 正体を知っているかい? モンスターは うわさによると 白くて 不完全な 人の様な形を しているらしいぞ (バイア)

モンスターはもともとは人間であること、 それが何らかの理由でモンスター化するらしいことが分かる。 ここで注目すべき証言は 「空間のすきまからにじみ出てきた」という点。 モンスターの元になる人間は、別世界の人間であるらしい。 また、モンスターもリオンと同じく、未知の言語を操る…… リオンの中のもう一人の“誰か”と モンスターは、出所が同じなのかもしれない。

一方で、デモニオだけは 人間の心が生み出した悪魔である ことが語られる。

以上の証言と、デモニオの語る世界の真実を 総合して考えると、 夢オチは夢オチなのだが、 単に「全部夢でよかった」「なんだ夢か」 というタイプの夢オチでは片付かない 問題を秘めていることが見えてくる。

つまり、モンスターはリオンが夢を見ることで生まれたわけではない。 現実に絶望した人が、仮想世界に入り込んで生まれているため、 リオンの夢が覚めても、現実世界においては絶望した人が無くなるわけではない。 つまり、デモニオを倒しても彼らに救済が訪れることは無い。

一方、 目が覚めたリオンは、現実逃避を拒絶したため、 この現実世界にはデモニオはいない。 だからデモニオを叩き斬ればハッピーエンドがやってくるなんて 訳じゃない。 デモニオのいない世界で、 絶望して殻に閉じこもる人々の中で、 現実と戦い続けなければならない。 現実に絶望した 彼らを絶望から救ってやることもできない (夢の中でさえできなかったのだ。いわんや現実をや)。 探索に非協力的だからといって叩き斬ってしまう訳にもいかない。 絶望しモンスターみたいに暴れまわるあの連中、 話の通じない彼らと、付き合いつつ(或いは付き合わないようにしながら)、 進まなければならないのだ。 これが現実だ。

悪夢よりもさらに悪夢じみているじゃないか。 だから、ただの夢落ちでない。 夢落ちよりもさらに悪いバッドエンドだ。


デモニオの罠

何をやってもうまくいかない……、 誰も話を聞いてくれない…… そんな現実、面白くないだろう?

「大冒険 セントエルモスの奇跡」のゲームの中なら、 何もかもが思い通りだ。 とっつきこそ悪いが、戦闘と貿易のルールさえ分かってしまえば、 わずかな元手からみるみる大富豪になり、 お金で協力者を得て、物分かりの悪い邪魔者は叩き斬って排除してしまえばいい。

ゲーム進行が単調、かつ、ゲーム構成が単純なせいで、慣れてくれば躓くことなく進む というところもミソだ。 最後の封印都市マナウスを解放した頃には、 世界最強の貿易成金が魔物を叩き斬るプレイスタイルが体に染み込んでいるものだから、 まるで世界の仕組みを知りつくし、世界のすべてを意のままに動かせるような気分になってくる。

……それこそがデモニオの罠だ。 このゲーム、一見出来が悪いように見えて、 その出来の悪い箇所が一本の筋で繋がっているので、 ある意味筋が通っている。 実際にプレイすると、「なんとなく納得してしまう」というような感触を 覚えるのだが、その原因はこの一体感によるものだろう。


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